世界史穴埋め問題271:ウィーン体制その5 #287

1808年、ナポレオンがスペインに侵攻すると、スペイン王家の権威が揺らぎ、アメリカ大陸のスペイン植民地でも本国からの自立を求める動きが強まった。その中心となったのが、植民地生まれの白人である( )だった。彼らは植民地社会では土地や富をもつ有力層だったが、政治の重要な地位では本国出身者が優遇されることに不満を抱いていた。1810年代から独立運動は各地に広がり、北部では( )、南部では( )らが活躍した。1820年代にはスペイン領アメリカの大部分が独立していった。

ウィーン体制下にあるヨーロッパの保守諸国はこうした革命と独立の広がりを警戒したが、列強の足並みはそろわなかった。イギリス外相( )は、独立した中南米諸国との自由な貿易に期待し、スペインによる植民地支配の回復に反対した。また1823年、アメリカ大統領( )も、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への干渉に反対する( )を発表した。こうして中南米では、ヨーロッパの保守体制とは異なる国際秩序が形成されていった。

私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。

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