ウィーン体制の中心にいたメッテルニヒらが警戒したのは、フランス革命とナポレオン戦争を通じてヨーロッパ各地に広がった( )やナショナリズムであった。王朝と君主制を中心とする秩序を守るため、列強は革命運動が再びヨーロッパを揺るがすことを防ごうとした。
その国際協調を支えたのが、アレクサンドル1世の提唱による( )や、イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンによる( )である。とくにメッテルニヒは自由主義・ナショナリズムを危険視し、ドイツでは( )などの学生運動が弾圧された。イタリアでは( )による革命運動が抑え込まれ、ロシアでも1825年に自由主義的な青年将校らによる( )の乱が鎮圧された。
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