世界史穴埋め問題268:ウィーン体制その2 #284

ウィーン会議は、各国の利害が対立したため交渉は難航し、華やかな舞踏会や宴会が連日のように開かれたことから、「会議は踊る、されど進まず」とも評された。それでも1815年には( )がまとめられ、ナポレオン戦争後のヨーロッパの枠組みが定められた。

その結果、ドイツでは神聖ローマ帝国に代わって39邦からなる( )が成立し、オーストリアがその中心的地位を占めた。また、フランス北方にはオランダとベルギーを統合した( )王国が置かれ、プロイセンはライン地方などを獲得した。オーストリアは北イタリアへの支配を強め、ロシア皇帝を国王とする( )も成立した。さらにイギリスは( )島や( )などを獲得し、海外での優位をいっそう強めた。

こうして成立した国際秩序を「ウィーン体制」という。

私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。

※タイトルの最後にある「#数字」は、ポッドキャスト番組の番号。

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