世界史穴埋め問題100:後漢 #110

西暦25年、新に代わって漢王室の一族である( )が都を洛陽に移して後漢を建てた。匈奴や高句麗が服属した他、倭人(奴国の王)が朝貢した。「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻まれた( )を授け、後に福岡県志賀島で発見されている。

このころ西アジアでは( )とローマ帝国が対立していた。後漢は西域にも積極的に進出し、西域都護の班超は多くのオアシス都市を服属させる。部下の( )をローマ帝国に派遣したが、大海に妨げられ皇帝とは面会できなかった。

私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。

※タイトルの最後にある「#数字」は、ポッドキャスト番組の番号。

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