アッバース朝の成立後、ウマイヤ家の王族が( )に逃れ、コルドバを都に( )を建てた。キリスト教徒・ユダヤ教徒・ムスリムが共存し、独自の文化が繁栄した。
アブド=アッラフマーン3世のころに最盛期となり、カリフの称号を用いるようになる。理由は、首都をカイロとするシーア派の( )がカリフを名乗ったため、対抗する必要があったからだ。このためイスラーム世界には3人のカリフが並立することになった。
私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。
※タイトルの最後にある「#数字」は、ポッドキャスト番組の番号。
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