前2世紀後半までに国内では中央集権化が進んだ。歴代の皇帝は外交、内政ともに現実的な政策をとり、国内の充実に努めてきたが、第7代皇帝、( )は対外積極策に転じる。
最大の敵である匈奴を倒すため、張騫を( )に派遣するなど西域(中央アジア)への外交政策を行う。さらに匈奴にたびたび遠征軍を派遣し、タリム盆地のイラン系( )群を解放する。
ベトナム中部まで進出して南海9郡を設置、インド方面につながる( )にアクセスできるようになった。朝鮮にも進出し朝鮮4郡を設置。この結果、武帝の時代に漢は領土が最大となった。
私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。
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